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【2024年(令和6年)与論島豪雨災害 備忘録】実際の災害発生時の状況

離島移住生活
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こんにちは、メグミです。
2024年11月上旬に与論島で発生した豪雨災害。私はこの時人生ではじめて「災害」に見舞われることになりました。この先もきっと忘れることはないですが、記憶が鮮明なうちにその時の状況などをまとめておこうと思います。
あくまでも私の生活範囲周辺での当時の状況になるので、もっと被害が大きかったところもあります。ここでの紹介は全貌の断片的な一面であることをご了承ください。
 

報道による豪雨の状況のざっくりまとめ

11月7日から11月9日までの総雨量が1年間に降る3分の1にあたる609ミリを記録。(この記録は昭和53年前からの観測史上1位とのこと。)
8日の午後1時半までの1時間に139ミリ猛烈な雨を観測し、記録的短期間大雨情報や、警戒レベル最高[5]の大雨特別警報も発表されました。

11月9日のNHKニュースでは床上浸水19件、床下浸水が9件、町道などの道路完遂が32箇所と報道。
与論町には災害救助法も適用されました。

普段鹿児島県のニュースでさえ気象情報のニュースで与論島は出てくることはありませんが、この時ばかりは全国放送のNHKでも与論島が紹介されました。

被災時の記録

当日あまりにも雨がひどかったので、雨の降りはじめから写真を撮ったりインスタグラムで状況をアップしていたので、その時の写真や動画を貼りながら、時系列で災害時の様子をまとめていきます。

※車からの撮影は助手席から撮影しています。

11月7日

報道では雨は7日からの記録となっていますが、7日は雨はほとんど降っていませんでした。

たまたま11月7日に与論町茶花の銀座通りの写真を撮っていました。

11月8日12:00頃

私はこの日、茶花エリアにある仕事場で仕事をしていました。(この仕事場は2階以上にあるのが後々の幸いにつながります。)
雨が強く降り出したのは11月8日の12時頃から。12時前にYahooの防災速報で強い雨が降るという通知が来ていました。

13時過ぎには外を見ると雨で空が真っ白でその白さをおさめています。

でも短時間で100ミリ以上降る雨は南国の与論島だとたまにあることなので、降り始めて1時間も経たないうちは、「今日は雨で飛行機も欠航になるかもな」としか考えていません…。

11月8日13:32頃

銀座通りに水が溜まり初めていますが、この時もまだ呑気に「天気予報は当てにならない」とインスタグラムにアップしています。
水は人のスネくらいの深さでしたし、水の色は透明なので、そのうち引くだろうとまだ思っています。

11月8日14:45

与論町の町内放送で大雨・洪水・土砂災害警報に関する放送があったそうですが気づかず。

11月8日15:39頃

仕事をして2時間後。外を見ると銀座通りの水が泥水に変わっていたので、この時初めて「今日は家に帰れるのだろうか」と少し不安に思い始めます。が、まだ帰れると思っています。

11月8日16:30頃

銀座通りにポンプ車出動。よく見ると与論島で作られている黒糖焼酎「島有泉」の空き瓶がぷかぷか浮いています。

11月8日18:00頃

水が全然引かず、また雨がこれから強まる予報があることや、23時頃に向かって満潮を迎えて潮位が上がっていくことがわかっていたので、この日は仕事場から動かないことをこの頃に決めました。


11月8日当日の潮見表

自宅までのどの道が安全なのか情報は全くと言っていいほどなかったですし、与論島の夜は本当に暗いのでこの判断は正解でした。

11月8日19:30頃

警戒レベル4相当になったことを防災速報で確認。

11月8日23:00頃

島に住む方がアップするiSNSで島の各地の情報を収集。災害時のSNSのデマが話題になったりしますが、発信者の顔が見える情報は信頼でき、とても役に立ちました。

11月9日1:50頃

警戒レベル5相当になったことを防災速報で確認。iPhoneからの通知が大爆音でなったので、飛び起きました。
当時の雨雲レーダーはひどいことになっていました。家の外からは豪雨と夜通しで排水をするポンプ車と人の声が聞こえていました。

11月9日5:30頃

島在住の方が発信するSNSで県道623号沿いの斜面が土砂崩れをしていることを知ります。

11月9日6:30頃

空が明るくなってから外に出て状況を確認。雨は降っていましたが、膝くらいまであった通りの水は引いていたので、車で帰れると判断。
自宅にいる旦那に迎えを依頼し、無事に自宅に帰宅しました。
ポンプ車は夜通しで稼働していました。

6:52撮影の与論島銀座通りの様子。雨はやみ、道路の水もはけています。

繁華街に一番近い茶花海岸沖の海は茶色く濁っていました。

帰路で撮影。牛舎が浸水してしまい、牛たちはガードレールに繋がれて避難していました。(※翌日には牛たちはより安全なところに移動していました)

雨水がたまった畑があちこちに。また雨が降ったらこの雨水が溢れてくるのではないかという不安がありました。

道路には所々流れてきた木やゴミがあり、避けながら自宅に帰宅しました。

その後の与論島

災害発生直後は赤土が海に流れ込んだ影響でヨロンブルーはこの色に…。与論島の東側にある鳩の湖〜大兼久海岸方面の眺めです。


 

 

陥没したような道もありました。

畑の土が流されて道路まで広がっている場所はよく見かけました。

繁華街近く、膝上くらいの高さまで水が来たと言われている通りです。
災害翌日から浸水した銀座通りのお店では片付けの作業がされていました。


 

 

 
11月9日未明頃に土砂崩れが起こった国道の坂道(通称:ピャーヌパンタ)は11月11日午前9時より復旧工事が行われ、通れるように整備されました。

豪雨災害発生から1ヶ月経過した記事執筆時現在は、まだ通行止めとなっている場所はあるものの住民の利用が多い場所は直され、日常生活には支障がないレベルに戻っています。冠水した銀座通りにあるスーパーや商店も、一部商品の品薄はみられますが、ほぼ通常通りの営業をしている印象です。
災害発生の2週間後の週末11/24に予定されていたヨロンマラソンは予定通り開催され、多くのランナー・観光客が島外から訪れました。

与論島への寄付はふるさと納税でできます

一見、震災前と変わらない普段の生活が戻ったように感じますが、これはあくまでも私周辺の生活での印象なのかもしれません。

これから整備が必要なところがありますし、浸水した住居に住む方や、畑に土砂が流れ込み甚大な被害を受けた農家さんなど、これから再建に向けて動き初めている方がいます。

与論島ではふるさと納税を利用した復旧工事や復興のための、災害支援寄付を受け付けています。

 
また与論島のマンゴーや与論島の植物を釉薬として使った焼き物「あーどぅる焼」を返礼品として受け取れるものもあります。

いただいた与論島へのご支援はきっと有効に使われると思います。ご支援をご検討の方はご自身も節税対策ができるふるさと納税からぜひご検討ください。

 
実際に被災している時に思った災害の怖さなどについては別のブログでまとめましたので、ぜひこちらもご覧ください。
↓↓↓↓
別ブログ:【2024年(令和6年)与論島豪雨災害 備忘録】経験してわかった災害の怖さと今後の対策